堀切 研一

堀切 研一

主宰/中小企業診断士

株式会社プロデューサー・ハウス 代表取締役社長。

1972年6月3日 鹿児島県霧島市(旧国分市)生まれ、横浜市在住。
鹿児島県立甲南高校、獨協大学外国語学部卒。
2008年 中小企業診断士登録。
2009年 独立開業。

ハウス食品株式会社において、営業、支店販売企画、開発・マーケティング、新規事業開発と、上流から下流におよぶ実務を14年間経験。中小企業診断士として2009年に独立開業。
「取材の学校」等の、中小企業診断士向けの講座を通じて、約500名の中小企業診断士を育成、支援している。

また、子育てママを採用したことをきっかけとして、世の中に埋もれている子育てママが多数存在することを知り、「ママ力(りょく)レンタル」という事業を立ち上げる。
以来、延べ約20名の子育てママの仕事の場作りに注力している。

詳しいプロフィール

1972年、タバコの産地である鹿児島県霧島市(旧国分市)に生まれる。

公務員の父と看護師の母のもとで、平凡ながらも幸せな生活を送っていた学生時代であった。
中学、高校ぐらいから納得しないことはやりたくないという気持ちが強くなり、学校もさぼりがちになる。
同級生が500数名いた高校での成績はほぼ500番代と、大学入学が危ぶまれる。
高校入学時に、大学に進学した姉の友人達である大学生が高校時代に何をしていたかの話を聞きに福岡へいったところ、自転車で九州一周をした方に出会い、自転車でツーリングをしようと決意。高校時代に、九州一周を右回りと左回りの両方のルートで巡る。高校卒業時は大阪までフェリーで渡り、鹿児島まで自転車で走破。
高校3年生のときは受験科目が英語の1科目だけの獨協大学外国語学部に狙いを定め、英語だけを勉強し、なんとか滑り込む。
大学2年生のときに、2万円の所持金で、ほぼ白米だけの食糧で日本縦断を実現。週に1度だけの楽しみとして、ハウス「ククレカレー」を食べていいというルールにしていたことをハウス食品の面接で話したところ、ご縁があったのか、唯一の内定をいただく。

ハウス食品入社後、金沢や名古屋で営業、名古屋で支店の販売企画部門を歴任し、30歳を過ぎて本社の開発・マーケティング部門に移動。
日本縦断時にご馳走であったククレカレーを作っている、レトルト部門の販売担当に。
しかし、経営やマーケティングの勉強を全くしていなかったことから、打合せやアイデア会議などで全く発言できない日々を過ごす。ある日、先輩から、「アイデアが出せないなら、会社に来なくていいぞ」と言われ、自分が全く社会の役に立っていないことにショックを受ける。
違う先輩に相談したところ、その方が中小企業診断士の資格を取得したばかりであり、この資格をとれば今の悩みを解決するのでは?との助言を受け、勉強を開始。
毎朝朝5時に起きて、平日は出社前に2時間半、休日は終日8時間の勉強をこなし、2年半で中小企業診断士資格を取得。

中小企業診断士資格取得と前後して、長男が自閉症の障害を持っていることから、家庭で仕事をすることを決意。2009年1月に独立。

独立後は半年ほどは仕事がなかったが、その後周囲の皆様のご支援により、障害者が働く作業所のコーディネーターや、地域・商店街等の活性化に携わるエリアプロデューサーなどの仕事に携わる。

その後、中小企業診断士の先輩から出版社に提案する機会をいただき、初めて取材記事の執筆に取り組む。
取材では、インタビューイの方の生き様に触れて、インタビューの楽しさを知り、その後200件以上の取材を経験する。
取材という面白い仕事を、ぜひ中小企業診断士の仲間にも知ってもらいたいという想いで、2013年に中小企業診断士向けに「取材の学校」事業を立ち上げる。
10年間で約500名の中小企業診断士ライターを輩出する。
2032年までに累計2,000人の中小企業診断士ライターを生み出し、彼らが10,000の記事を世の中に出すことを目標としている。

2016年まで、スタッフは1名だけであったが、2016年4月にそのスタッフが在宅中心で働かなければならなくなり、新たにスタッフを応募。
すると、子供を送りだして迎えに行くまでの4時間と短時間しか働けないけれども、非常に優秀な子育てママが多くいることに感銘を受ける。
以来、子育てをしているママに絞って採用を行い、1年間で延べ20名の子育てママの働く場作りを始める。
2017年9月に、「ママ力(りょく)レンタル」という子育てママが働く事業を立ち上げ、営業活動に注力している。